人はまっすぐに幸福を望むとは限らない x

幸福になるために努力や精進をするのが人間だとは限らない。例えばその人の目指す幸福が資産の場合、仕事に努力し精進し、出世して資産を増やす。その正攻法で幸福をつかむ人もいれば、ギャンブルや投資で幸福をつかむ人もいる。最終的なファンクションの達成度が同じだった場合、楽して達成を望むのは当然ではないだろうか。

 しかし、そういう邪心は人間らしくないのではないか?学校教育でも、社会に出た諸先輩方もそういう成功の仕方は「人としてよくない」と教える。確かに失敗した時をビハインドを考えれば、この選択が人間らしくないのかも知れない。

 いや、そういう邪心を持つからこそ人間らしいのである。動物はどうだろうか?餌を求め努力と精進する以外に道を選ぶだろうか?人間は餌を求めるのに、もっと安全な方法はないかと武器を開発した。もっと効率のいい方法はないかと落とし穴を開発した。

 つまり、人間は邪心があるから進化したのである。もっと楽して幸せにな方法はないか?もっと効率よく幸せになれないか。この邪心があるからこそ、あらゆる戦略を生み、あらゆる手段を生み出した。それが進化を促した機動力であったのだ。

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