■シンデレラの揺さぶり

 ふり幅が大きければエンターテイメント性は上がる。有名なシンデレラの話の振り方は典型的なエンターテイメントである。前半は不幸で悲しく絶望的は展開が続く。貧乏で哀しみに落とし、更に継母や兄弟たちのいじめは怒りを誘う。不快のファンクションがこれでもかと求められる。

絶望から世界一の幸福へのふり幅。魔法使いに会った時点でもまだ不安だ。魔法がかかり変身する瞬間から喜び、舞踏会での楽しみ、王子との恋の喜びと快ファンクションが続く。そして午前零時からもう一度どん底に落とし、ガラスの靴から結婚までとまさにどんでん返しで締める。

 PTAの考査の入ったシンデレラ。もしそういうものがあれば貧乏は中流に、いじめは同情に。不快のファンクションが低い状態からいくら世界一の幸福をつかんだところで子供たちは面白いと思うだろうか。大人の自分ならむしろ妬ましく終了後には不快の状態にあると思う。

 掴みは深い不快のファンクション。これがエンターテイメント性の重要要素であり、重要なプロセスの順番である。ジェットコースターでも不安を煽るだけ煽って一気に恐怖に落とし、すうっと日常に戻す。ゲームも最初は操作が下手で怒りから入り、上達するごとに喜びから楽しみに変わる。最初の不快をマイルドにしてしまうと、PTAシンデレラのように喜びを与えてもエンターテイメント欲求は満足しない。ということは使用者自ら不快のファンクションは要求しているということになる。

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