FAを活用したエンターテインメントの価値の解明

 ■情緒的生産性革命

 

エンターテインメントの価値ははっきりと解明されていない。さまざまなレジャーにしろ、映画やゲームなどコンテンツ、スポーツ、ギャンブル。世の中には様々なエンターテイメントがあるが、そのいわゆる情緒的価値ははっきりと解明されていない。車や電話も機能的価値はある程度解明されているが、その情緒的なものは2次的なものとして置き去りにされているところがある。

 モノ消費に対しコト消費エスティーム・ファンクションの比重が大きい。先の車や電話は産業革命を経て飛躍的にその進化を遂げた。これは使用価値であるところのユーズ・ファンクションの比重が大きく、人によるばらつきが少ない。ゆえに利用範囲や利用時間・利用者数など測定可能であり、技術を高めれば向上もやりやすったと思われる。一方サービスやレジャーは魅力価値であるところのエスティーム・ファンクションの比重が大きく、人や文化によるばらつきが大きい。また感情的な評価は測定しずらく、一部の感性の高い人間による技術革新で進化しているだけだと思われる。

 しかし、情緒的価値の生産性革命を起こさなければならない時代である。モノによる利便性の進化はすでにベクトルを下げている。モノあまり、モノ消費の低下がその根拠である。消費者は利便性においてはある一定をクリアすれば、それ以上は革新的に変化がなければ、それを求めなくなった。一方でコト消費が需要が高まり、コトによるエンターテイメント性を求めるようになった。

 機能性の向上だけでは人は「豊か」になれない。人の豊かさの上限がどこにあるかは別として、衣食住の生活が安定してくると、個としての自我の確立を求めるようになってくる。個としての自我が地位や名誉、資産など人生の最終地点を目標としている人は今のままでいいかもしれないが、多くの人はその生きるプロセスを重視する。今をどう楽しむか、自分の生きた証を想い出としてどう築くか。それが今求められている「豊かさ」であり、その手段がエンターテイメント性である。

戦略と素直さ X経験・補足

 いろんなことを戦略的に考えることが、悪いことをしているように思える。悪巧み、計算してる、予定調和。事前にものごとを予測し、策略的に対応を考えて実行をしたりすることは、しばし嫌な言われ方をする。

 計算的に物事を進めると「あざとく」見える。あざとい人間と純粋な人間がいれば、好かれるのは純粋な方だ。伊集院光氏が師匠の三遊亭圓楽氏のメディア対応に「師匠、戦略ですか」と聞いて「お前、そういうことを考えているといつか落とされるよ。純粋に向き合うだけだよ」と説いたことが、妙に頭に残っている。

 「あざとさ」が見えるうちは半人前。そういうことなのであろうか。圓楽氏ほどの才のある方が計算なく行動したり、発言したりしているとは思えない。粋で好かれるには、その才をひけらかしたりしない。結局「うまく、巧み」なのである。

 所詮世の中は「巧み合い」。純朴そうに振る舞いつつも、裏ではしっかり戦略を考えて進めている。口で戦略、戦略というのはちょっとみっともない。思いつきのような、ラフで素直そうな戦略家でありたい。

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不安は知ることで解消される x経験

 不安や恐れは未知であるから心に生まれる。目を閉じて歩くと不安なように、同じ道でもその構造を見えない状態は恐ろしい。そこがどんな構造か、そのものが何者か、知ることで対象物への恐れは少なくなり、経験を繰り返すうちに解消される。

 経験上妖怪を恐れなくなった。子供のころ、夜中に便所に行くことが怖かった。それは漫画で見た妖怪がいるように気がしたからだ。水木しげるに出会い、妖怪に興味を持つうちに何冊かの本を読んだ。その由来や、戒めとして妖怪は作られたと知ったとき、妖怪はそれほど怖くなくなった。

 コロナを恐れなくなったのは、知ったから。誰もが気が緩み、未知なるコロナでなくなった今、さほど怖くなくなっている。コロナより、今は未曽有の不況が襲うことが自分の人生をどう狂わせるかが不安になっている。これも、さほど変わらぬ人生であると知れば怖くなくなるであろう。

 不安や恐れから逃れる方法は知ることである。商品が売れない恐怖は顧客を知ることでしか解消できない。マーケッティングは商売人を救っているのかもしれない。知ることを惜しまないこと、それが心の安定につながる。488

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ギャンブルは数値化できる x

 世の中のエンターテイメントでギャンブルだけが数値化できる。エンタメはその評価を数値化するのは難しい。エンタメは感情の揺らぎであるエスティームな価値であり、その測定方法は未だ未開発である。心拍数や脳の信号で測定も可能であろうが、実用化されるのはまだ先のことのように思える。

 ギャンブルも同様ではないか?ギャンブルと他のエンタメとの大きな違いは価格がレートはあれど、その際限は顧客任せである。いわゆる投げ銭方式で顧客はファンクションが達成するまで投資を行う。ということは顧客の評価はその投資額で表れている。

 他のエンタメは定価化されている。つまり、顧客の評価が金銭という数値であれば、全員が同じファンクションを達成したとみなされる。しかし、同じエンタメ経験をしても人の感想にばらつきがあるのが現実である。顧客のコストは代金として表せるが、達成した価値の大きさは顧客の心の中にしかない。

 投げ銭方式のエンタメはギャンブルしか今のところない。というか、もともとエンタメは定額ではなく、大道芸のように顧客の評価で価格は決まるものではないか?何はともあれ、現行のエンタメの中でギャンブルのみが価値の評価ができるのである。

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人はまっすぐに幸福を望むとは限らない x

幸福になるために努力や精進をするのが人間だとは限らない。例えばその人の目指す幸福が資産の場合、仕事に努力し精進し、出世して資産を増やす。その正攻法で幸福をつかむ人もいれば、ギャンブルや投資で幸福をつかむ人もいる。最終的なファンクションの達成度が同じだった場合、楽して達成を望むのは当然ではないだろうか。

 しかし、そういう邪心は人間らしくないのではないか?学校教育でも、社会に出た諸先輩方もそういう成功の仕方は「人としてよくない」と教える。確かに失敗した時をビハインドを考えれば、この選択が人間らしくないのかも知れない。

 いや、そういう邪心を持つからこそ人間らしいのである。動物はどうだろうか?餌を求め努力と精進する以外に道を選ぶだろうか?人間は餌を求めるのに、もっと安全な方法はないかと武器を開発した。もっと効率のいい方法はないかと落とし穴を開発した。

 つまり、人間は邪心があるから進化したのである。もっと楽して幸せにな方法はないか?もっと効率よく幸せになれないか。この邪心があるからこそ、あらゆる戦略を生み、あらゆる手段を生み出した。それが進化を促した機動力であったのだ。

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テレビよりYOUTUBEが主流になる

 YOUTUBEは、テレビを越えてメディアの主流になる。私も圧倒的なテレビ派で、YOUTUBEに関してはアンチであった。ただ、実際の接触は、年々テレビからYOUTUBEに移行している。これは、多くの人々がそういう傾向にあるのではないだろうか。

 しかし、まだ圧倒的にテレビ信者が多い。YOUTUBEの視聴回数が相当な数ではあるが、テレビの視聴者数と視聴回数に比べれば、まだまだ低い。コンテンツという面においても、テレビの方が圧倒的に作り込まれている上、そこにかけられた費用も多い。YOUTUBEがテレビを越える日はまだまだ先であるという見方もある。

 ただ、YOUTUBEの方がファンクションの達成が容易である。テレビも、YOUTUBEも視聴者のファンクションは情報を入手することである。もしコンテンツや情報の質に差がなければ、時間と場所を限定されないYOUTUBEの方がファンクションの達成は容易である。

 したがって、YOUTUBEはテレビを越えて行く。かつて、テレビは映画よりも時間と場所の制約を取り除いたことで普及した。同様に、そのテレビよりも時間と場所の制約を克服したYOUTUBEが主流になるであろう。

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文章練習を始めてみる TYPE-Ⅹ

 文章練習を始めてみる。文章がうまくなりたいものだが、なかなかうまい具合にうまく書けない。本日講習でコツとやらを教えていただき、とにかくそれに沿って書いてみようと思う。しかし、目的のないまま書き綴ってもいまいちモチベーションが続く気がしない。そこで作ったはいいが放置状態のホームページにブログとして書いてみる。

 しかし、いまどきブログとかどうなんだろうか。フェイスブックもYOUTUBEもSNSはやってるが、ブログはここ10年近くやってない。というかかなりオワコンみたいに言われており、私の好きなYOUTUBERのストマック氏も本日をもってブログは終了した。

 いや、逆にそこがいい。オワコンだからこそ、見る人が限りなく少ないのでこういう練習とか見られても意味がない。でも書き溜めてうまくなったらフェイスブックとかにリンクして公開すればいい。モチベーションが上がる。

 とにかく文章練習を始めてみる。文章は数字よりも好きだし、嫌いじゃない。うまくなっておけば、なんか仕事が来たときに役に立つかも。仕事に役立てば、もしかしたら世の中の役に立つかも。このブログもいつの日か人を幸せにするかも。はい、503文字。

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